
中国盆器の最高峰とされる「烏泥」は、1600年代には創出され、清代乾隆期(1735~1796)にその技法と作品は全盛期を迎えたとされています。「その土味、陽の光で七色に輝く」と称されるほど、泥物にもかかわらず、気品を湛えた盆器として、明治期から現在に至るまで、盆器の頂点に君臨するものです。
制作された原地中国の経済発展により、日本で保存された中国古渡盆器の多くが、「里帰り」の形で激減する中、愛好家が実用で所蔵される物など、現存は僅かとなっています。
本作は、旧高木財団が所有されていたもので、秘匿の内に海外の「買付けの嵐」から逃れていたもの。元々この器形の烏泥は、国内僅かに数点でしたが、現在この保存状態でのご紹介は本作唯一と言えるでしょう。
直線的な線の造りで構成されている本作は、今までも数々の名樹を受けとめてきました。「名樹名鉢と相和す」の言葉のように、いつの日か本器が名樹と共に斯界に登場する刻を期待したいものです。
制作された原地中国の経済発展により、日本で保存された中国古渡盆器の多くが、「里帰り」の形で激減する中、愛好家が実用で所蔵される物など、現存は僅かとなっています。
本作は、旧高木財団が所有されていたもので、秘匿の内に海外の「買付けの嵐」から逃れていたもの。元々この器形の烏泥は、国内僅かに数点でしたが、現在この保存状態でのご紹介は本作唯一と言えるでしょう。
直線的な線の造りで構成されている本作は、今までも数々の名樹を受けとめてきました。「名樹名鉢と相和す」の言葉のように、いつの日か本器が名樹と共に斯界に登場する刻を期待したいものです。