
偕楽園御庭焼は江戸時代後期、紀州徳川家10代藩主、徳川治宝が、別邸西浜御殿内(現・和歌山市西浜)で焼かせたものです。1819年(文政2年)御殿完成間もない頃、京都楽焼陶工を招いて開窯しました。永楽保全・仁阿弥・楽9代了入・10代旦入などが、表千家了々斎と共に招かれました。交趾写しを代表に、寿紋や吉祥図匠を中心に、大名窯ならではの絢爛美麗な作品群が今に伝えられています。
特に豪商三井家が紀州家御用として、長崎から渡来の釉薬を用いる事で、他には類例のない御庭焼が誕生したのです。
本作は紫紺釉に波に雲鶴の貼花紋、底面には紀州家御庭焼の証と言える「偕楽園製」の落款を有しています。この「偕楽園」とは、御殿の庭園の名に由来しています。
200年を経て、保存状態良く市井に秘蔵さて続けてきた賓作です。
特に豪商三井家が紀州家御用として、長崎から渡来の釉薬を用いる事で、他には類例のない御庭焼が誕生したのです。
本作は紫紺釉に波に雲鶴の貼花紋、底面には紀州家御庭焼の証と言える「偕楽園製」の落款を有しています。この「偕楽園」とは、御殿の庭園の名に由来しています。
200年を経て、保存状態良く市井に秘蔵さて続けてきた賓作です。
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