
中国泥物盆器の最高峰「烏泥」の極めて珍しい中品サイズの作品です。
中国宜興県で制作された“紫砂“の名器群は、清代早期から多くの名品を生み出しましたが、
“青砂“と現地で称される烏泥の“白目土“の作品は稀少中の稀と言えます。
乾隆期(1700年代)に全盛期を迎えた紫砂盆器は、清国の衰退から滅亡、民国年代の量産、中華人民共和国としての文革を経た苦難の時代、等々、長い歴史の変遷の中、往時の“超絶至芸“と謳われた匠の技は失われました。
国風展級の展示審査においても、本器は“古渡“つまり、乾隆期を頂点とする最盛期の名器として扱われますが、小店の厳密な鑑定で、約50~70年前、“失われた陶技・陶胎”を求め追求した、宜興の名工達が、僅かに技巧の限りを尽くして制作した逸品である事が判明しました。古渡級の内容を持つ名器として次代に伝承したいものです。
中国宜興県で制作された“紫砂“の名器群は、清代早期から多くの名品を生み出しましたが、
“青砂“と現地で称される烏泥の“白目土“の作品は稀少中の稀と言えます。
乾隆期(1700年代)に全盛期を迎えた紫砂盆器は、清国の衰退から滅亡、民国年代の量産、中華人民共和国としての文革を経た苦難の時代、等々、長い歴史の変遷の中、往時の“超絶至芸“と謳われた匠の技は失われました。
国風展級の展示審査においても、本器は“古渡“つまり、乾隆期を頂点とする最盛期の名器として扱われますが、小店の厳密な鑑定で、約50~70年前、“失われた陶技・陶胎”を求め追求した、宜興の名工達が、僅かに技巧の限りを尽くして制作した逸品である事が判明しました。古渡級の内容を持つ名器として次代に伝承したいものです。