
盆栽界の歴史において、盆器は古渡品を頂点とした中国よりの渡来品を上位としていますが、現代では多くの日本鉢作家の作品が、海外でも高い評価を得て、戦前よりの数名の作家は、国内での入手が難しい程の高騰を続けています。
本作、初代平安東福寺(本名・水野喜三郎)もそのひとり。京都を中心にみずからの窯を持たずに「共同窯」と呼ばれる窯を持たない陶工達の作品を混同して焼く中で、東福寺は制作されました。東福寺が他の鉢作家と大きく異なるのは作品の殆どが、自身の盆栽趣味に則って、“植えてこそ意味のあるもの“を追求したことです。
特に本器に表れる“緑釉“の追求に生涯をかけ、手本とした広東窯の釉調を超えた「東福寺緑釉」の完成となりました。
生前の評価は低く、生活にも困窮する中でも、東福寺は自己の作陶精神を変えなかったとされています。手捻りから古渡品を凌駕するものまで、その作域は広く、晩年まで意欲的な作品を遺しました。
本作は胎土から前半期に制作された、“斑紋結晶“を孕んだ緑釉の傑出作品です。瑠璃釉を潜ませた緑釉の色調の深さは、東福寺コレクションの真骨頂といえるものです。未使用のまま某大家の蔵に眠り続けたものをご紹介させて頂きます。
生誕130年・没後50年の本年、京都名刹「大徳寺」において、東福寺の名品百選が、京都国際文化振興財団「慶雲庵」によって公開されました。 ここからの更なる再評価が予見される、“樹鉢界のゴッホ“の賓作をご覧下さい。
本作、初代平安東福寺(本名・水野喜三郎)もそのひとり。京都を中心にみずからの窯を持たずに「共同窯」と呼ばれる窯を持たない陶工達の作品を混同して焼く中で、東福寺は制作されました。東福寺が他の鉢作家と大きく異なるのは作品の殆どが、自身の盆栽趣味に則って、“植えてこそ意味のあるもの“を追求したことです。
特に本器に表れる“緑釉“の追求に生涯をかけ、手本とした広東窯の釉調を超えた「東福寺緑釉」の完成となりました。
生前の評価は低く、生活にも困窮する中でも、東福寺は自己の作陶精神を変えなかったとされています。手捻りから古渡品を凌駕するものまで、その作域は広く、晩年まで意欲的な作品を遺しました。
本作は胎土から前半期に制作された、“斑紋結晶“を孕んだ緑釉の傑出作品です。瑠璃釉を潜ませた緑釉の色調の深さは、東福寺コレクションの真骨頂といえるものです。未使用のまま某大家の蔵に眠り続けたものをご紹介させて頂きます。
生誕130年・没後50年の本年、京都名刹「大徳寺」において、東福寺の名品百選が、京都国際文化振興財団「慶雲庵」によって公開されました。 ここからの更なる再評価が予見される、“樹鉢界のゴッホ“の賓作をご覧下さい。
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